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太田道灌ゆかりの地を歩く

第2木曜日 10:30~14:00頃 全4回 
5月8日~9月11日
[5/8、6/12、7/10、9/11]
※8月はお休み
清水 克悦(歴史ライター)
太田道灌は、室町時代から戦国時代への転換期に活躍した扇谷上杉家(以下扇谷家)の家宰(執権・執事)を務めた武将です。
家宰は、時に家長の代行をしたり、他家との交渉を行ったり、また主家の家来に所領を分け与えたり、保証したり、支配している地域にさまざまな税金を課したり、免除したりと権力を一手に掌握し、家政を取り仕切ります。
道灌は軍勢の大将としても戦術、用兵が巧みで、数々の戦いに戦績を残し、主家の扇谷家の勢力拡大に貢献しました。その結果、扇谷家は、関東管領の山内上杉家(以下山内家)に肩を並べるまでになります。
太田道灌の名声は絶大でした。太田道灌の名前は、よく知られています。その実、何をしたかはあまり知られていません。
そこで、5月から3月まで毎月1回(8月は休み)10回かけてゆかりの地を歩いてみましょう。事前に資料を配布します。「歩く」を重視した歴史散策です。リュック、歩きやすい靴、服装でご参加ください。

次回10月期は、「長尾景春の乱」に対処して活躍する道灌ゆかりの地を歩きます。


★スケジュール 
※集合時間は各回とも10時30分(時間厳守)駅改札前

5/8
【鎌倉の道灌邸、扇谷上杉管領邸あたりを歩く】
太田道灌は、永享4年(1412)に誕生した。父道真(資清)は、扇谷上杉家の家宰として持朝に仕え、扇谷上杉館の近くの太田館(英勝寺域)に居住していた。道灌は嫡男である。9歳から11歳まで鎌倉五山の学所で学問を学び、特に漢詩の才に優れていた。道灌邸跡に建てられた英勝寺、扇谷上杉管領屋敷跡、道灌の供養塔などをめぐる。
【歩行距離:約3.5km、歩行時間:約1時間30分】
集合/JR「鎌倉」駅西口改札
   ※改札を出た右手の時計台の広場
解散/R「鎌倉」駅東口

6/12
【道灌が築城し、居住した江戸城を歩く】
東京国際フォーラムに建つ太田道灌像から出発する。道灌が築いた江戸城は、現在の皇居東御苑の旧本丸台地にあった。城郭は、根城(子城)、中城、外城の3つの曲輪を連郭状に堀切で区切り、先端には静勝軒(望楼風の建物)を建てていた。眺めがよく、眼下に品川から浅草隅
田川、遠くに冨士山、武蔵野、筑波山を望めた。
【歩行距離:約4.5km、歩行時間:約2時間15分】
集合/JR「有楽町」駅 国際フォーラム口改札
   ※改札を出た右手の信号を渡った広場
解散/東西線「竹橋」駅

7/10
【「七重八重花は咲けども山吹の」の山吹の里を歩く】
狩りをしていたとき道灌が俄雨に遭った。蓑を借りようと農家に立ち寄ると、娘が黙って一枝の山吹の花を道灌に差し出した。美人だが、言葉をしゃべれない気の毒な娘だと思ったのは道灌の不覚。後に道灌は、娘を江戸城に呼び寄せて歌の友とした。道灌が糟谷館(伊勢原市)で暗殺されると、紅皿は大久保に庵を結び尼となった。没後に紅皿はこの地に葬られた。
【歩行距離:約4km、歩行時間:約1時間45分】
集合/JR山手線「大塚」駅改札
解散/JR「新宿」駅

9/11
【道灌が築城し、父道真と主家の扇谷上杉持朝が居住した河越城を歩く】
鎌倉公方・足利成氏が、関東管領の山内上杉憲忠を謀殺した事件が発端となって、享徳の乱がおきた。扇谷上杉持朝の当面の敵は、古河公方方の下総千葉氏で、武蔵の拠点の騎西城(埼玉県騎西町)への備えが必要だった。そこで、太田道真、道灌父子に河越城、江戸城の築城を命じ、糟谷館、七沢要害から本拠地を河越城に移し家宰の道真とともに入部した。
【歩行距離:約3km、歩行時間:約1時間15分】
集合/東武東上線「川越」駅改札
解散/東武東上線「川越」駅


★講師プロフィール★
歴史ライター、歴史さんぽ講師。毎日文化センターでは、「城跡ハイキング」のほか「武蔵野さんぽ」を担当。著書に『首都圏城跡ハイキング』、『関東・甲信越 戦国の名城・古城 歩いて巡るベスト100』(ともにメイツ出版)、『横浜謎解き街歩き』『山手線謎解き街歩き』(ともに実業之日本社)など。
14,080円(税込・4回分) 
※現地集合・解散、交通費・入園料・入館料・拝観料各自。
※現地までタクシーを利用する場合もございます。
◆資料代:792円(税込・4回分) 
◆保険料:640円(税込・@160円×4回分)
◆郵送料:440円(税込・@110円×4回分)
◆持参品 歩きやすい靴、帽子、雨具、筆記具、保険証(コピーでも可)

※荒天が予想され延期する場合は、前日までにご連絡します。
原則として、翌週土曜に振替などの対応をしますが、訪問先の状況により、曜日変更もあります。その場合、欠席のご返金はできかねますのでご了承ください。
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